窓からの思い
「陽子!」
自室に戻ってきた楽俊はその赤髪の少女を見て思わず叫んだ。
「おかえり」
陽子と呼ばれた少女は、あたかも当然のように楽俊を迎えた。
燃えるような赤髪が開かれた窓からの風で緩やかに流れる。
「なんでオイラの部屋に陽子が居るんだよ」
楽俊は部屋に入ってきた状態から一歩も動かず、ただ唖然と陽子を見つめていた。
「会いたかったから」
陽子は満面の笑みで答えた。
楽俊は力がどっと抜けるような気がした。
騒動が起こったこの場所は、雁国首都、関弓にある雁国大学の学寮の一室。狭いが一人で生活していくには十分な広さの部屋である。
そこで、楽俊は思いがけない人物と遭遇していた。
楽俊は一つ溜め息を付くと、ネズミの短い足で机に近付き、手に持っていた書簡をその上に置いた。
その様子を見て、陽子は微かに穏やかな笑みを浮かべた。
「陽子、王様が国を抜け出してきて良いのか?それも窓から侵入なんて・・・・」
楽俊があきれたように言うと、隣国の女王は苦笑した。
「大丈夫。私の所は冢宰と台補がしっかりしてるから」
楽俊は陽子の様子を見ながら、耳の後ろのフサフサした毛の辺りを掻く。
「…なんかあったのか?」
楽俊の問いに一瞬陽子は驚いたようだったが、すぐに少し悲しそうな笑みを浮かべた。
「楽俊はなんでもわかるんだな」
「まぁな。長い付き合いだしそれぐらいは」
楽俊のヒゲが揺れ、微笑んでいるのがわかる。
陽子は不意に楽俊に近付くと膝を付いて楽俊に強く抱きついた。
懐かしい感触がそこにはあった。
「お、おい!陽子!慎みが――」
「謀反があった」
楽俊の言葉は陽子の重い発言によって途絶えた。
「私を気に入らなかった者達が謀反を起こした。朝議の時に襲われたんだ…」
楽俊に回された陽子の腕がきつくなる。
「謀反が起こると自信がなくなるんだ。自分の今まで歩いてきた道が間違っていたようで」
楽俊は少し驚いたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
楽俊の小さな掌が陽子の頭を撫でる。
「大丈夫だって。できたばかりの国ってのはそんなもんだ。それに陽子がそんなんじゃ余計民が不安がるぞ。台補も冢宰も良い人だ。大丈夫だ。あのな、陽子。陽子は今泥道を必死で進んでる。そんな状態なんだ」
そう言った楽俊を陽子は見つめた。
その大きな瞳に謀反を起こしたもの達のような濁りは見えなかった。
「間違ってるかもしれない、ここは本当の道かもしれないって戸惑いながらも進んでるんだ。けど、きっと目的の場所まで到着して振り向いた時、そこには確実に陽子が歩んできた陽子の道がある。それを見て初めて自分が進んできた道が正しいとわかる。それまでは誰にもわからないものなんだ。だから安心しろ。謀反を起こした者達に陽子の歩んできた道は見えてないんだ」
そこまで言うと、楽俊は陽子の頭を軽く叩く。
「それにあの台輔とあの冢宰だ。上手くいきそうな気がするだろ?」
楽俊の大きな瞳が細くなり、口元のヒゲがまた動いた。
陽子はその楽俊の柔らかい笑みに笑顔を零す。
「すまない。こんな弱音を吐いて」
「いんや、いいんだ。それで。誰にも言えないなら、オイラで良ければ聞くからな。溜め込んでちゃ体にわりぃぞ。問題はオイラの方だ。オイラは陽子をすぐ甘やかしちまう」
楽俊はそう言って困ったように笑い耳の後ろを掻く。
「ありがとう。楽俊」
そう言うと陽子は、今度は思い切り楽俊に抱きつく。
二人は勢い余って転倒した。
「陽子!慎みを持てってば!」
もがく楽俊に嬉しそうに陽子は抱きついていた。
その時、丁度楽俊の頭上に位置していた部屋の扉が勢い良く開いた。
「文張、お前が借りたがってた本が手に……」
部屋に入ってきた楽俊の友人は床に転がった楽俊と目があった。次には陽子とも。
「め、鳴賢…!」
鳴賢の手から厚手の書物が豪快な音を起てて落ちた。
「すまない、文張。取り込み中だったとは知らなかったんだ!」
しばらく呆然としていた鳴賢は、そう言うと一目散に走り去っていった。今までに見せた事も無いような早さで、楽俊には到底追いつけそうに無かった。
こうして楽俊は弁解の機会を完全に失ってしまった。
「あ、あぁ…」
楽俊の悲痛な声が響いた。
Fin
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