【趙雲の場合】
嘘。
虚言。
空言。
この痛みを埋めるためなら幾らだって吐き捨てる。
ウソ。
「このまま、逃げるか」
呟く言葉。
本音と偽りを含むその声に、部屋に静寂が降りる。
見つめた先、想い人は筆を止めたまま、じっと紙面を見つめていた。
呉蜀同盟中、使者として呉を訪れていた趙雲は開いた時間、陸遜の部屋を訪ねていた。
陸遜は微笑み、迎え入れてくれたものの、申し訳なさそうに、仕事が立て込んでいると言った。
それでも傍にいたくて、趙雲は筆を走らせる陸遜の傍ら、書物を読んでいた。
しばらくして、こぼれ落ちた趙雲の言葉が陸遜の動きを止めた。
「…どこへ、ですか?」
微かに返された声に趙雲は一瞬目を見張る。
てっきり一笑に伏されるか、怒りを買うかと思っていたが、返ってきたのは意外な言葉。
「…西はどうだ?」
依然顔を上げない陸遜。
「どうやってですか?」
「馬、だろうな。徒歩でも良い」
「資金は?」
「ある程度はある。あとは稼げば良い」
立て続けの質問はそこで切れた。
「…国、は?」
かすかに震えた声がまた尋ねた。
答えは簡単だ。
そこまでいけば、『捨てる』のだ。
趙雲は陸遜に近づき、頭を包み込むようにして、抱きしめた。
「馬鹿なこと言ってすまなかった」
言葉にするのは簡単だ。
けれど、そんなことが不可能なことぐらい重々承知。
自分だって
相手だって
捨てられるような国ならこれほど苦しまずにすんだのだ。
伏せられていた顔があがり、苦しみに歪む顔が、瞳が趙雲を捉えた。
自分の戯れ言がこんな顔をさせてしまったかと思うと、後悔より腹立たしさが自分を襲う。
戯れ言。
けれど、それに籠もる本心を相手が知る必要はない。
「すまない…」
もう一度謝れば、陸遜は笑みを浮かべた。
相手を気遣うような、苦しい笑み。
嘘でも
偽りでも
この同盟が、仮初めの平和が一日も長く続くことを願うしかない。
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