案の定、その晩の月は雲に隠されることも無く、煌々と天に輝いていた。
趙雲は窓から身を乗り出し、その天辺にある月をしばらく眺め、それから手の中にあった紅の袋へと目を移した。
対照的な色の袋には紐が一本出ている。
趙雲はそれをつまんでもう一度窓から見を乗り出し、軒へと結びつけた。
これが意外にも難しく、一体どうやって女性がやっているのか想像もつかなかった。
「できた」
ぶら下がった赤い袋。ふらふらと夜風に揺れているそれを見て、なんだか自分が情けなく思えた。
武人である自分が自分に対して酷く腹を立て始めた。
やはり外そうと袋へと手を伸ばす。
「趙雲殿」
袋に手が掛かったその時、自分を呼ぶ声に趙雲は危うく窓から外に落ちそうになった。
どうにか堪えて、窓の外にいた人物に視線を合わせる。
「・・・・陸遜」
「何をなさってるんですか?」
「あ、いや、つ、月が綺麗だな、と」
苦し紛れの言い訳。口が裂けてもまじないのことは言えなかった。
「そうですね」
陸遜も笑みを浮かべて、月を仰ぐ。
その久しぶりの表情に心がざわめいた。
ひどく懐かしい。
「陸遜もこんな時刻に何を?」
「実はなかなか寝付けなくて」
そう言う陸遜の表情には眠れないとは言うが、疲れが表れていた。
月明かりに照らされる陸遜の顔色は白い。
「寒くないか?」
「そうですね。少し肌寒いですけど」
そう言う陸遜を趙雲は手招きし、窓の近くまで呼び寄せる。
不思議そうにしている陸遜を手の届くところまで来ると、趙雲は陸遜の体を掴んで持ち上げる。
「わっ、ちょっと!」
慌てる陸遜をそのまま抱きかかえると自分の部屋に入れた。
「何を―――」
陸遜は自分の足がつくや否や文句を言おうと、口を開いたが文句は出なくなった。
趙雲の腕がきつく陸遜の体を抱きしめる。
趙雲は自分の顔の近くにある陸遜の髪の匂いを感じた。懐かしい匂い。
「趙雲殿」
陸遜の声がいつもより近い。
「尚香様にお礼を言わなくては」
陸遜の言葉に、趙雲は一瞬自分の心が読まれたのかと思い驚く。
趙雲も同時に密かに尚香に感謝していたのだ。
「実は昼間に尚香様に言われたんです。この時刻にここに来てみろって。やっと意味がわかりました」
そこで趙雲も初めて合点がいった。
あの時、彼女が浮かべた微笑みの意味がやっとわかった。
それと同時に、明日には彼女が意気揚揚と自分を訪れてくることは明白だった。
二人はどうやら尚香の思う壺だったらしい。
趙雲の口元に笑みが浮かぶ。
「趙雲、殿」
陸遜の自分を呼ぶ声がはっきりとしない。
そう気付いた次の瞬間には陸遜の体から力が抜け、趙雲の両腕に重みが掛かった。
「陸遜・・・・?」
顔を覗き込んでみれば、陸遜は規則正しい寝息を立てていた。
無防備な顔を見せてくれることが無性に嬉しくて趙雲は思わず声に出して笑ってしまう。
完全に夢の中へと行ってしまった陸遜を抱きかかえると、そのまま自分の寝台に向かう。
寝かせようと、どんなに動かしても陸遜の瞼が動くことは無かった。
趙雲は自分も寝台に腰を下ろし、外を見る。
窓にはまだ紅色の布袋が月光の中揺れていた。
End
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