十代目が、怒っていらっしゃる・・・。

 

 

 

 

    思い想って

 

 

 

 

 沈黙。静寂。

 本当は心地いいはずのこの静けさに俺はひとり恐怖していた。

 

 

 

 いつものように学校が終わって、

 いつものように二人で帰って、

 いつものように十代目の家を訪れて、

 いつものように二人並んで座っている。

 

 

 

 本当にこれが俺の思う『いつも』なら、俺は今最高に幸せなはずなのだ。

 

 

 

 それがどうしたことかいつもと違う。

 どこが違うかなんて単純明快。

 

 

 

 

 

 十代目が口を利いてくれない。

 

 

 

 

 

 ちらりと左隣を伺う。

 雑誌に視線を落とした十代目がそこにいる。

 ぱっと見れば通常と変わらない、のだが。

 

 

 

「あ、あの」

 今日何度目か分からない情けない言葉。

 勿論それには何度目か分からない簡潔な返答。

「なに?」

 あぁ、まただ。

 雑誌から目線もあげずに吐き出される言葉はどこか突き放すように冷たい。

 

 

 絶対、怒ってる。

 

 

「い、え、なんでもない、です・・・」

 さっきからこれの繰り返し。

 

 

 聞きたい。

 俺何しましたか?

 怒らせるようなことしましたか?

 俺のこと、嫌いになりましたか?

 

 それでも聞けないのは俺が臆病だから。

 

 

 小さく息を呑んで、また何度目か分からない回想をする。今日一日を。

 爆破はしていない。

 上級生に絡んでもいない。

 山本のヤローとだって口げんか程度だ。

 

 

 

 全く持って、理由が思いつかない。

 

 

 

 そうやってまた同じ問答にうんうんと唸り続ける俺。

 そんな俺の隣でひとつ、十代目が大きなため息をつくのが分かった。

 そして開かれた口は意外な言葉を紡ぎだす。

 

 

 

 

「俺のさー、手って全然綺麗じゃないよね」

 

 

「え、」

 

 突然ぽつりと呟かれた言葉に、慌てて相手を見た。

 十代目は先ほどまで手元にあった雑誌を放り出し、手を前にかざしている。視線は揺らぐことなく真っ直ぐ自分の手に注がれている。

 つられるように俺の視線が十代目の肩から指先を滑る。

 

 

(そうだろうか…)

 

 

 爪までたどり着いた視線はそこから動かせない。

 同じ男としては細くしなやか指、爪は短く切りそろえられ、手首は握れば折れてしまいそうなほど。

 

 これ以上に美しく感じるものなど、俺にはない、と率直に思う。

 

 

 だから、それを伝えたくて開きかけた口。

 しかし、俺の口からでかけた否定の言葉は呆気なくかき消される。

 

 

「節っぽいし、」

 

「体だって肉ついてないから固いし、」

 

「いい匂いだってしない」

 

 

 次から次へと繰り出される言葉に俺はただ聞いているしかなかった。

 何だ、何の話だ。

 何を基準に十代目が話しているのかさっぱり分からない。

 

 

 

 

 

 

「胸だってないし」

 

 

 

 

 

 

 …

 …

 …

 …はい?

 

 

 

 

 俺は固まった。

 多分パソコンのフリーズはこんな感じ。

 

 頭が完全に一時停止。ゆっくりと噛みしめるようにその言葉の意味を理解する。

 

 

「そ、それは…」

 

 当たり前です。

 だって、

 

「十代目、は、男ですから」

 

 やっとそれだけ言えば、じっと自分の手だけ見つめていた十代目の視線がこちらに向く。

 榛色の瞳が一瞬、揺らいだ気がした。

 

 

「そだね」

 

 

 簡潔な返答。

 その声の静かさが怖くて思わず息を飲む。

 

 一瞬細められた瞳が俺を射抜く。

 

 

 

「獄寺君も、男だし、ね」

 

 

 

 それだけ言って十代目はまた視線を逸らした。

 

 

 はい、俺は男で、あなたも男です。

 今更確認する事項ですらない。

 

 

 それなのに、

 

 それなのに、言われた瞬間酷く突き放された気がした。

 

 

 

 俺と十代目は先ほどと少しも変わらず並んで座っている。

 距離は30センチほど。

 

 それなのに、そこには絶望的な距離が横たわっている気がした。

 

 

 

 十代目?

 十代目…?

 

 

 

 十代目がまた大きくため息を吐く。

 

 そして、それに乗せるようにほんのわずかな声で、普段なら聞き逃してしまうような声音で、

 

 

 

 

「俺も彼女作ろうかな…」

 

 

 

 

 再度思考が停止する。

 けれど、言葉は瞬時に理解できた。

 

 視界が十代目だけを映す。

 指先から血が引いていく感じがして、寒気から微かに震えた。

 どこも感覚が曖昧になっていくのに、ただ喉が潰れるほど締め付けられるように苦しい。

 震える指がゆっくりと動く。

 

 喉の奥、肺の下、重くて黒い鉛のようなものが俺の体を下へ下へと押し付けていくような感覚がした。

 この感覚には覚えがあって、頭の奥の方、冷静な自分が醜い感情だと嘲る。

 

 指が力無く落ちていた十代目の手首を掴む。

 折れてしまいそうだ、そう思ったはずなのに、俺はそこを遠慮なしに強く握る。

 十代目は驚いたような、痛みに耐えるような表情で俺を見ている。

 潰れそうな喉をこじ開け言葉を発する。

 

 もう、理性なんか働かなくて。

 

「嫌だ」

 

 

 それは稚拙な言葉。まるで幼児が駄々をこねる時のような。

 けれど、どんなに頭を動かしてみてもこれ以上の言葉も出てこなかった。

 

 今の俺では言葉であなたを縫いとめることすら出来ない。

 

「い、やです!」

 

 再度同じように呟く。

 今自分はどんな顔をしているのだろうか。

 十代目の瞳に映るのは困惑だけで、俺の姿は見えなかった。

 

 けれど、俺はその十代目の瞳が一瞬煌いたのを確かに見た。

 それは決して温かいものでなく、冷たく深い怒りの輝き。

 

 

 

 

 

 

「獄寺君が悪いんじゃないかっ!!!」

 

 

 

 

 

 はき捨てられた言葉。

 瞳に燃えるのは憤怒。

 

 

 その言葉に、瞳に思わず俺は目を見開く。

 その隙に十代目が俺の腕の中からすり抜けた。

 

 

 あ、やっぱり怒っていらっしゃる。

 

 

 呆然とした俺の頭がはじき出したバカみたいな考え。

 

 憤然と立ち上がった十代目に俺も慌てて立ち上がる。

「十代目、どこへ・・・?」

「ここにいたくない!!」

 床を踏み鳴らすように歩いていく十代目の背中に、ここは逃がしてはいけないと本能が叫ぶ。

 

 

「十代目・・・!!」

 

 

 今度は二の腕を捉える。ここもやはり折れてしまうのでは、と危惧するほど細い。

 

「十代目、俺何かしましたか?分からないんです・・・!」

 今にもこの場から去ろうとする十代目は必死で俺の手を解こうとするが、俺だって必死でそれを阻止する。

 ここで逃がせば、全てが切れる、そう思った。

「自分で考えろ!!」

 珍しくきつい口調。

 どうやら相当俺は十代目を怒らせてしまったらしい。

 

(それだってさっきから考えてるけど)

 分からない。

 多分、こんな俺の鈍さも十代目を怒らせてる原因だ。

 

「十代目・・・!!」

「勝手にすればいいだろ!彼女でも何でも作ればいいじゃないか!!」

 十代目の叫びにも近い怒声。

 俺はといえば、内容より、その十代目の表情に血の気が引いていった。

 

 十代目の顔は多分真っ青であろう自分の顔とは正反対の赤。

 たまに見せる可愛いらしい朱色ではなく、激情を訴える赤。耳まで同じように赤く染め、特に目元は腫れているかのようだ。そして、そこからこぼれるのは大粒の涙。

 

「え、は、ああああああの!!」

 俺は情けないほど慌てた。

 しばらくその十代目の表情にうろたえてから、更に俺は十代目の叫んだ内容を思い出す。

 

「か、かのじょ?」

 わけも分からず呟いた言葉に十代目がきつくにらんでくる。

 

「どうぞ、ご自由に!」

「お、俺は!女なんか作りませんよ!」

「嘘吐くな!」

 訳が分からない、というのが正直なところ。

 何で、こんなにも大切な人が目の前にいるのに他の人間に現を抜かさなければいけないのか。

 

 

 

 俺の胸に、微かな憤りが芽生える。

 

 

 

「十代目の勘違いです!」

 きっぱり言い退けてやれば、十代目は唖然と俺を見た後、更に怒りを露にする。

 

 さすがに、ちょっと怖い。

 

「嘘だ!」

「勘違いです!」

「あー!もう!うるさい!」

 そう言って十代目はもう嫌だといわんばかりに自由の利くほうの腕で耳を塞ぐ。

「十代目!」

「聞きたくない!」

 

 ぷちりと何かの音がする。

 いわゆる、堪忍袋の切れた音なのか。

 それとも残っていたなけなしの理性が潰れた音なのか。

 

 俺は捕らえていた腕に渾身の力をこめて十代目の体を引っ張る。

 微かに漏れた十代目のうめき声に胸が痛んだ。

 

 そのまま細い体を扉に押し付ける。

 両腕を縫いとめて、そのまま乱暴に唇を重ねた。

 

 唇を噛み切られるくらいのことは覚悟していた。下手をしたら舌だって危ない。

 けれど、予想に反して重ねた唇は微かな抵抗を見せただけだった。

 

 いつも以上に熱を持ったそこは眩暈がするほど気持ちがいい。

 熱いのは唇だけでなく、口内も、頬も同じだった。

 時折、零れ落ちる涙がやるせなくて、腕の拘束を解いて、涙を拭う。

 

「んぅ・・・」

 小さなうめき声の後、十代目の体がズルズルと落ちていった。

 名残惜しそうに唇が離れる。

 

「十代目・・・」

 

 しゃがみこんでしまった十代目は膝を抱え込み、その中に顔を埋めるようにしてうずくまってしまった。微かに震える肩に消失していた理性が浮上する。

 

「あ、」

 

 なんにしてんだ!俺!

 

 最高潮はずだった感情がまるで嘘のように冷えていく。

 

「十代目!」

 慌ててしゃがみこんで顔を覗こうとしても、ぴったりと隠された顔を見ることが出来ない。

 

「すみません!十代目・・・!!」

 

 十代目から漏れるのは微かな嗚咽ばかりで、本気でもう俺終わったかも、とか思って泣きそうになった。

 

 

「じゅ、」

「・・・卑怯だ・・・」

 掠れた声で呟かれた言葉。本当に小さな言葉だったけれど、どうにか聞き取ることが出来た。

「俺のこと、好きじゃないくせに」

「な」

 何の話ですか!?

 思わず声を上げてしまいそうになる。

 

「何言ってるんですか?」

「嫌になったら突き放せばいいじゃないか。優しくするな」

「・・・・・・」

 なんだか知らないが、ものすごく大きな勘違いが生じていることだけは分かった。

 でも、やっぱり原因が分からない。

 

「十代目」

「もういいから帰れよ」

「十代目、顔、上げてください」

 そうゆっくりと告げれば、やっと十代目の瞳が現れた。

 目が真っ赤で、未だ止まらぬ涙がボロボロと落ちている。

 

 そんな十代目に、不謹慎ながら優越感を覚えてしまった俺。これは俺だけの沢田さんなんだ、と。

 

 頬に手を添える、そんなことにすら十代目はびくりと体を震わせた。

 

「十代目、大好きです」

 

 ゆっくり、噛み締めるように呟いて頬にキスを落とす。

 

「う、」

「嘘じゃないです。俺は十代目しか見えてませんから」

 

 あなたが嘘だというなら、信じてくれるまで傍で否定し続ける。

 原因は分からないけれど、きっとあなたを不安にさせたのは俺だから。

 

「十代目、愛してます。大好きです。信じてくれなくても、信じてくれるまで言い続けますよ」

 俺しつこいんです、そう言って笑ってやった。

 あなたが泣くから俺はあなたが笑うまでこの気持ちを紡いで、笑う。

 

「・・・馬鹿みたいだ・・・」

 いつの間にか止まった涙。まだ目元は赤くて、きっと腫れてしまうだろうなと思う。

 けれど、口元が緩やかに弧を描く。

「信じてもらえましたか?」

「まだ」

 きっぱりと否定されてしまう。

「じゃあ、もっと言いますね」

 それから俺は永遠と愛を囁いた。

「好きです。大好きです」

 何度目か分からないその言葉の後、十代目は俺もだよ、と小さく呟いた。

 

 

 

 

 

「それで・・・」

 もうすっかり日も暮れて、夜に満ちた部屋。

 電気もつけないものだから、ぼんやりとしか見えないけれど、隣に座ったお互いの顔は見えるから気にはしなかった。

「結局、俺、原因分からないんですが・・・」

「馬鹿」

 そう一言言われてしまえば、ぐうの音も出ない。

「スミマセン・・・」

 

「今日さー、獄寺君、また女子に呼び出されてたでしょう?」

 

 あ、バレてた。

 

「行くつもりはなかったんですが・・・」

 行くつもりはなかったが、女子の強引さと策略にまんまと引っかかった。

 

「俺も見るつもりはなかった」

「はぁ・・・」

「たまたま掃除終わった後、通りかかって獄寺君が校舎裏に向かうの見ちゃってさ。追いかけてったらそんな状態だった」

 

 そんな状態とは、多分告白現場のこと。

 

「疑ってなかったけど、気になったからこっそり覗いてた」

 

 あぁ、なんてタイミングの悪い。とりあえず、少し前の自分を殴ってやりたい衝動に駆られた。

 

「そしたら、獄寺君、断らないんだもん・・・」

 また、あからさまに十代目の声のトーンが下がる。

 それに俺は慌てて首を激しく振った。

「いえ!断りましたよ!」

「知ってる。断ってたけど、なんか悩んでたでしょ?」

 

 図星ってヤツです。さすが十代目。

 俺は真直ぐにらみつけてくる十代目の目線が怖くてふらふらと視線を泳がす。

 

「何で?」

「えーと、ですね・・・」

 

 恥ずかしい。この答えは何百回分の告白より恥ずかしい。てか、多分呆れられるか下手したら嫌われるかも。

 

「い、言わなきゃ駄目ですか?」

「駄目」

 

 即答。

 

「・・・あ、呆れます、絶対」

「今のままじゃ獄寺君のこと嫌いになるかも」

 驚いて相手を見つめれば、十代目はむっとした表情でこちらを見てはいなかった。

 覚悟を決めるしかなかった。

 ぐっと息を詰めて、

 

「・・・・てたから・・・・」

 

 蚊の鳴くほどのような声。自分ですら聞き取れない。

「何?聞こえない」

 本当に聞こえなかったのだろう、十代目はそっと耳を寄せてくる。

 

 俺はそこに恥ずかしい真実を呟いた。

 

 

 

「あの女子が十代目に似てて、断りづらかった、んです」

 

 

 

 あぁ、絶対呆れられる!

 思わず俺は頭を抱え込んだ。

 

 

 

 今日のその女子からの『愛の告白』も例に漏れず俺は辟易しながら聞いていた。ついさっきのことなのに内容すらも覚えていない。

 さっさと終わらせようと思って、口を開きかけた時、俺はその先の言葉を続けられなくなった。

 顔は、はっきりと思い出せない。けれど、目に涙を溜め、微かに震えながら俺の言葉を必死で待つその様子に一瞬想い人の姿が重なった。

 一瞬だったはずのその姿は脳裏に焼きついてはなれない。いないはずの想い人を思って、鼓動が早くなるのを感じた。

 わり、そう呟けば相手は泣き出して駆けていってしまった。

 そんな後姿を見ながら、相手には申し訳ないぐらい、俺はあの人のことを考えていたのだ。

 

 

 

 

 今思い出したって恥ずかしい。

 

 他人に、見ず知らずのヤツに恋人を重ねて。

 

 ひとり羞恥に呻いて、そこでふと気付く。

 一向に怒声もため息も、まして笑い声も聞こえてこないのだ。

 ゆっくりと視線を上げて十代目を見る。

 

「じゅ、」

 

「君、ほっっっんと恥ずかしい・・・」

 呆れたようなその口調。

 でも、耳まで赤く染めたその顔にコチラまで恥ずかしくなってしまう。

 

「・・・怒ってませんか?」

「怒ってないよ」

 

 てか、怒れないじゃん、そう呟いた十代目の顔は赤くて、でも先ほどの怒りとは違う柔らかい赤。緩んだ口が嬉しくて、俺はそっと顔を寄せる。

 

「・・・しても、いいですか?」

「さっきは許可なくしたくせに」

 憎まれ口を叩いてから十代目は俺の唇に自分のそれを一瞬掠めるように合わせる。

 

「本当に、責任とってよ」

「はい」

 

 

 笑って、答えてもう一度キス。

 

 

 何百の言葉を。

 何万のキスを。

 

 そしてたった一つの俺をあなたに。

 

 

 

 

                                                  END



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 無駄に長くてすみません!!
 たまにはヘタレでない獄を書こうとして玉砕ですorz
 嫉妬する可愛い十代目が書きたかったんですが・・・。
 そのうち直せたら直したいかも・・・。

≫2007年8月14日